写真展「あなたが目を閉じるとき 私の躯を感じるでしょう」 

2020年1月30日(木)~2月5日(水)にキヤノンギャラリー銀座 にて
写真展を行いました。

 

自分と関係のあった建物の最後を人はどのように感じるのか。
ある建物がなくなろうとする2018年の一日に、建物の目線で別れを惜しむ人々の姿を追ったドキュメンタリーでした。

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「建築の葬式」という聞き馴染みのない、けれども随分としっくりくる文字組みを聞いたとき私はすこし安堵した。
最近は特に、失うことが当たり前で、立ち止まりにくい世の中だとどこか窮屈に感じていたからだと思う。
私自身も町を撮り、消えていく景色を捉えていく中で、喪失との向き合い方を同じような想いで眺めていたのだと思う。
けれどもその想いは、写真に書き出されても、すでに過去として飲み込んでしまったあとのようにも考えることがあった。

そんな中で「建築の葬式」は現在進行のいとなみだった。建築は決して生きていないし、永遠にあるものでもない。
ただ、自分の生活で身を委ねることの割合はとても大きい。建物の、その大きな空洞を、私達はエゴで埋めていき、居心地をよくする。
そしてそこに住んだり、通ったり、思いだしたりと、自分の居場所をつくっていく。自分の居場所をつくることは、自分をつくることでもあるように思う。

しかし、解体されるとき何もできない、何もしないことがほとんどだ。さようならもこんにちはもなく、記憶から消えてしまう場所は多くある。
私はこの「建築の葬式」を建造物の立場から写すことで自分のそんな悲しい空白をしっかり埋められるような気がした。
そして、心の中だけでもきちんと想うことができたらいいと思った。今回、建物の外観や詳細を写真で表さないよう心がけた。

かたちは人の想いと記憶で作り出せばいい、実像がけっしてリアルとは言いきれない。
この場所を知らない人であっても、各々に潜む大切な場所へ対峙するはずみとなればいいと思った。
写真はきっかけとなり、絶対的なリアルは記憶に存在する。

写真表現という振り幅の大きなものと関わりながら、私はそう願うのだ。

 

 

※「建築の葬式」とは
日本大学理工学部駿河台校舎5号館が解体されることを受け
卒業生、在校生が愛情深い別れの空間を葬式という形でつくりだしたいとなみである。
ただ終わりを悲しむだけではなく、人と建築、人と人の繋がりが深まっていくためのはじまりの場所となるように。
この写真たちは、その最後の1日である。

写真集を制作いたしました。
こちらは写真と暮らしの店 AtelierPiccoloにて購入できます。

 

Special Thanks;
日本大学桜門建築会/桜建会青年部
居間 theater +佐藤慎也
セカイ(小野志門 北川健太 横井創馬)/中島行雅

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