さようなら東京・令和編【日暮里】

さようなら東京・令和編【日暮里】

其の三 道具を通じて手と手がつながる「日暮里」
写真・文=鹿野貴司

2度目の五輪を控え、東京は変革のときを迎えている。とりわけ大きく姿を変えつつあるのが、いわゆる下町といわれる23区の東側だ。懐かしさと新しさが交差するエリアを、写真家・鹿野貴司が記録する。 

 

この連載は「CAMERA fan」というサイトで始まり、そして今は「写真と暮らし研究所」に引き継がれている。なのにカメラの話も写真の話もないじゃないか!と言われることもあるのだが、今回は珍しくカメラの話をしようと思う。僕が応援したいカメラ屋さんの話。

 

友人である小説家・柊サナカさんの作品に『谷中レトロカメラ店の謎日和』という推理小説がある。タイトル通り谷中にある中古カメラ屋さんを舞台にしているが、もちろんフィクション。僕が知る限り、今の谷中にカメラ屋さんは一軒もない(あったら教えてください)。ところが小説が発売されて程なくして、ストーリーを追うようにJR日暮里駅を挟んで反対(東)側に突如中古カメラ屋さんができた。

当時僕は近くに住んでいたこともあって、ワクワクしながらその中古カメラ屋さん、三葉堂寫眞機店(以下・三葉堂)を訪れたのだが…。ショーケースの中は品物がぽつぽつ。隙間なくカメラを並べ、さらにその上にもカメラを陳列してしまう新宿あたりの中古屋さんを見慣れていると、かなり寂しい印象だ。小説に登場する谷中のカメラ屋さんは3代目の若主人と女性アルバイトがいるのだが、こちらをやっているのは若い男性トリオ。果たしてどういうつもりで中古カメラ屋さんを始めたんだろうか。3人が生活できるだけ売上があるんだろうか。その後も何度か店をのぞいてみたが、いろいろ余計な心配をした記憶がある。いや、それは本当に余計だった。ある頃から店の賑わいがネットから伝わるようになり、いつだったか、柊さんに誘われて久々に訪れたらショーケースの中はたくさんのカメラやレンズが買い手を待っていた。そして取材に訪れた日も、そんなカメラとの出会いを求める人が次々とやってきた。

 

トリオから進化した三葉堂カルテット。
左から松田拓也さん 、山本裕太さん、稲田慎一郎さん、 佐藤彰紀さん 。
後から加わった山本さんは、今はなき某人気中古カメラ店の店長だった。
まさに史上最強の助っ人。

 

三葉堂で取り扱うのはフィルムカメラと、それに合うレンズのみ。
中央に見えるのは僕も以前使っていたハッセルブラッドSWC。
使いこなしの難しいカメラだったが、これだから撮れる写真があるカメラでもあった。

 

 

中古カメラ屋さんというと、親切で面倒見のいい店もあるにはあるが、常連のお爺さんたちのサロンになっていたり、一見さんや若者に厳しい店も少なくない。若い来店客の初歩的な質問に一切答えず、「うちは写真学校じゃないからさ、勉強してから買いに来てよ」と言い放つ店主も見たことがある。Twitterで知り合ったという3人がここを始めたのも、まさに敷居の低い中古カメラ屋さんの必要性を感じたからだ。最近の20代は物心ついた頃にはカメラ=デジカメで、フィルムというものを見たことがないという人も多い。「写ルンです」で撮影しても、現像の仕上がりとして受け取るのはスキャンデータをダウンロードするためのQRコード。ネガが何のためにあるのかわからず、ポイッと捨ててしまう人もいるらしい。

だから三葉堂の接客はまずヒアリングから始まる。初心者ですという人には、カメラやフィルムの仕組みからメーカーの特色まで、1時間でも2時間でもかけて丁寧に教える。割りに合わないように見えるが、購入者の満足度は高く、フィルムカメラいいなぁ、私も欲しいなぁという友人を紹介してくれるという。また丁寧にカメラを売っているという評判が旧来のマニアにも広まり、買取や委託の依頼も増えた。某古書チェーンが「本を買うなら」ではなく「本を売るなら」というCMをしつこく流している通り、中古販売は買取を増やすことが生命線でもある。僕もフィルムカメラを手放すなら三葉堂写真機店に売ろうと思っている。なぜだか増える一方で困っているのだが。

 

 

写真自体まったくの初心者という女性が来店。
山本さんがかなりの時間を割いてカメラの基本から説明していた。
学生と思しき彼女は好きなタレントがここでカメラを買ったのを知り、自分もカメラが欲しくなったという。
この日は迷って購入せずに帰ったが、2度3度来店してから購入するお客さんも珍しくない。
彼女も今は素敵な愛機をゲットしているかも。

 

入荷したカメラやレンズは、白衣がトレードマークの修理師・佐藤さんが点検と整備を行う。
整備済の販売にこだわるのは「初めて買ったカメラがすぐに壊れたら、
写真がイヤになってやめちゃうかもしれないから」と店主の稲田さん。

 

 

カメラが他の工業製品と大きく異なるのは、道具である一方コレクションにもなり、さらに写真という極めて人間臭い表現を生み出すことである。荒木経惟(アラーキー)氏に『男と女の間には写真機がある』という名著があるが、男と女に限らなくても、カメラはよく人と人の間に存在する。僕はカメラを持たずに行動することはほとんどないから、結果として大抵相手との間にカメラがある。そしてどういうときに写真を撮るのかといえば、何らかの感情を揺さぶられたときだ。人物や風景にカメラを向けてシャッターを切るときも、無意識にかたちのない何かを切り取っているのだと思う。光だったり、空気だったり、風だったり、音だったり、あるいは存在自体が感じられないものかもしれない。それらを0と1だけのデジタル信号で記録するのは原理としては興味深いし、テクノロジーでその再現性は飛躍的に高くなった。しかし表現とは数字で割り切れないものである。デジタル世代が0と1の中間を求め、三葉堂を訪ねてくるのも自然なことだと思う。

その三葉堂の周囲には生地やボタンの店が点在し、一大繊維街を形成している。街を行き交うのは女性が多く、人種も実にさまざまだ。店舗だけでなく昔ながらの町工場や倉庫も多いが、一方でマンションの建設現場も目立つ。下町の工業地帯ならではの乾いた雰囲気はだいぶ失われつつある。しかし日暮里から東へ進んで根岸、鋭角に曲がって入谷と地図を時計回りに回っていくと、戦災を免れた地域だけに昔ながらの東京の姿をそこかしこで見ることができる。さらに曲がって日暮里と戻るトライアングルのコースは、まさにフィルムカメラとともに散策すると楽しいはずだ。

 

 

カメラ屋さんに行った後にこれを見ると、フィルムのパトローネ(缶)かと思ってしまう。
糸です。

 

軽トラや軽バンって日本独自の仕様だけど、本当によくできているよなぁ。

 

日暮里から根岸へと建物探訪。
都心から程近いにもかかわらず、戦前~高度経済成長期の建物がそこかしこに残る

 

トライアングルコースは、日暮里、西日暮里、三河島、三ノ輪、入谷、鶯谷と6つの駅に囲まれている。
どこの駅からも遠い中心点付近には、布や紙、金属、タイヤなどさまざまな回収業者の倉庫がある。
被写体として魅力的な倉庫も多い。

 

こういう巨大倉庫も都内からだいぶ減ってしまった。

 

 

そんなトライアングルを自転車で何周も回っていると、日暮里中央通りでひときわおしゃれな倉庫風の建物が目に止まった。ドアにはかっこいい青いつばめのエンブレム。恐る恐る中へ入ると、うず高く積まれたカラフルなロールが目に入った。応対してくれたのはここ、株式会社茂木商工の4代目にあたる茂木宏之さん。3代目にあたる叔父・克夫さんと父・郁治さんとの3人で、帆布の生地販売から製品づくりまで一貫して行っている。もともとは生地の卸売りや受注品の製造など、いわゆるBtoBの商売をしていたが、2011年にショップとショールームを開設。BLUE SWALLOW(青つばめ)というオリジナルブランドを展開し、それまでロールで卸売していた生地も、1m単位でカット販売するようになった。

さらに現在はバッグを作るワークショップも開講。応募者が多すぎるため、火曜と木曜は午前午後の2回、土曜はなんと1日4回だが、それでも日によっては抽選になるらしい。受講者は色や細かいパーツや仕上げ方を選び、工業用ミシンを使って90分で作り上げる。受講費は材料費込みで5000円+消費税。バッグを買うより安いのである。帆布のバッグが好きでいくつも持っている僕としては、これは参加しないわけにはいかない。人生でミシンを使ったのは30ン年前、中学校の家庭科の授業1回こっきりだけど、しっかりサポートしてくれるというので大丈夫そうだ。もっともバッグを作ったら写真は撮れそうにないので、後日改めての取材は撮影のみ。他の人が作る様子を撮っていると、やはり自分も作りたくて仕方がなかった。そのうち申し込むとして、自分のバッグは使い切れないほどあるので、息子のリュックでも作ってあげるか。

※新型コロナウィルスの影響で現在ワークショップは休止中です

 

いざワークショップ開始。サンプルを手に説明しているのが宏之さん。
右奥の白いスウェットを着ているのが3代目の克夫さん。
このときの受講者は女性2名だったが、男性も多いとのこと。

 

お兄さんが白なら、弟の郁治さんは赤。
茂木商工の3人はとてもダンディーでおしゃれなのである。

 

手で布をコントロールしながら、足で複雑な操作をこなす。
工業用ミシンを操るのは、マニュアルのスポーツカーを走らせるのに似ているような気がした。

 

取材中、趣味で生地を探しているという女性たちが来店。
楽しそうに説明する郁治さんから、本当に仕事や帆布が好きだということが伝わってきた。

 

 

今はどんなものでもクリックひとつで玄関まで届くし、デジタルデータで表現できるものはかたちのある媒体からかたちのない媒体へ、さらにはサブスクで媒体すら存在しなくなりつつある。しかし人々は便利さを享受する一方、どこかでアナログの温もりを求めているようにも感じる。対面接客でじっくりとフィルムカメラを選んだり、帆布のバッグを自分で作ることは、モノ消費とコト消費をダブルで楽しめてかなりお得なのではないだろうか。そういえば日暮里や根岸、入谷、鶯谷ではもちろんチェーン店もあるが、独特な魅力がある個人経営の飲食店がたくさんある。暖かくなってきたし、コロナウィルスのせいで仕事がキャンセルばかりで暇だし、明日は自転車であのトライアングルを巡ろうかしら。そして日暮里駅前の「馬賊」で担々麺辛めと、入谷の喫茶店「DEN」でソフトクリームを食べるぞ。

左は数え切れないほど食べてきた「馬賊」の担々麺。店内には中国式に麺を打つ音が響き渡る。
コシの強い麺に、ゴマの風味が豊かなスープがよく絡む。右は「DEN」のソフトクリーム。
僕がうっかりカップに落としてしまったのではなく、逆さの状態で供される。

 

日暮里といえばコッペパンの専門店「みはるや」も忘れてはならない。
おばあさんと息子さんが早朝から具材を仕込む。
焼きそば、コロッケ、きんぴら、どれもうまい。
でも一番好きなのはあげパン。

 

根岸~入谷のあたりは、令和になっても空気は昭和。

 

…といいたいけれど、昭和は平成を越えて確実に令和へと変わりつつある。
あちこちにマンション建設のクレーンが見えるようになった。寂しいねぇ。

 

 

 

<プロフィール>
鹿野貴司(しかのたかし)
1974年東京都生まれ。多摩美術大学映像コース卒業。さまざまな職業を経て、フリーの写真家に。広告や雑誌の撮影を手掛けるほか、ドキュメンタリー作品を制作している。
日本大学芸術学部写真学科や埼玉県立芸術総合高等学校で非常勤講師も務める。写真集に『日本一小さな町の写真館 山梨県早川町』(平凡社)など。
http://www.tokyo-03.jp/

<お知らせ>
これまで玄光社ウェブサイト「CAMERA fan」で連載していた『さようなら東京』を、平成から令和への代替わりを機
に当サイトで引き続き連載することになりました。バックナンバーは下記の「CAMERA fan」各リンク先をご覧くださ
い。

其の七・鐘ヶ淵~京島あたり https://camerafan.jp/cc.php?i=747
其の六・葛飾区柴又 https://camerafan.jp/cc.php?i=746
其の五・墨田区東向島 https://camerafan.jp/cc.php?i=740
其の四・北千住あたり https://camerafan.jp/cc.php?i=727
其の三・江東区森下あたり https://camerafan.jp/cc.php?i=720
其の二・台東区浅草 https://camerafan.jp/cc.php?i=704
其の一・葛飾区立石 https://camerafan.jp/cc.php?i=694

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