大田区 大森の福田屋

大田区 大森の福田屋

大田区の産業道路沿い、大森の弁天神社の脇を少し入ったところに福田屋という甘味処がありました。
ここは大正から続く地域に愛されたお店で、子ども達はここの甘味でスナックではないお菓子を知るのです。
祖母に連れられて、母と一緒になど、3代で通っていましたという人も多かったと思います。
けれども、今年、このお店は長い長い歴史を閉じました。
シャッターには、このお店を愛していた地域の人たちの言葉がたくさん貼ってありました。
福田屋のおばあちゃんとおじいちゃんにお店の中を見せてもらいました。
「みんなからの手紙が貼ってあるでしょう?泣いちゃうわよねえ。シャッター開けられないのよ。」
そういって暗い店内の鍵を開けて、鯉がいる池の雨戸をほんの少し開けてくれました。
「お父さんの足のね、水を抜く入院が長引いちゃって、行ったり来たりしているうちに疲れちゃって」
「お店、もういいかなって。ほら、家族でやっていたから」
おばあちゃんは、お店を閉じた経緯を話してくれました。この池を見ながら、みんなでソフトクリームを食べたな。。。
そんなことを考えながら、なんとも言えない気持ちで聞いていました。
ソフトクリームの札には70円と書いてあって。この値段をそのままにするためには従業員も雇えないしギリギリだったと胸の内を語ってくれました。

たまにこうやってお店で眺めたりしますか?って聞くと、全然って言いました。
「来年は全部壊しちゃうの、マンションにするの。」

私はこの近くで産まれて育ったから、なおさら思いが強くて。
なかなか写真を撮りに来れませんでした。シャッターを見たときの喪失感は、思っていたよりもひどく。
カメラを取り出すこともせずに、ただその文字を呼んでいました。

「あんみつの器が3つあったわね。もらってくれるかしら?」
「もうね、いっぱいあった器をね、洗ってね、お店の前に出してるとね、みんな持っていってくれるから。」
おばあちゃんは、仕方ないじゃないと笑うので、わたしも笑顔でお店にサヨナラしました。
町のお店や建物が変わっていくのは仕方ないとして、でもその前に、もしくはその後に、ちゃんと向き合わなくちゃならないと思う。
もう二度と戻らない。写真で残したとしても戻ることはできない。

完全に失くなってから、気づいても好きだったことは伝えられない。だから思ったときにちゃんと伝えなくちゃねって、思うけれど。
お店だったらなおさら、何度も何度も行けばよかったのに。好きなだけで、思っていただけで伝えることもしなかったのです。

壊す前に写真をプリントして渡しに行く約束をしました。心の中にある福田屋には到底およばないけれど、私のできる限りをしたいなと思いました。
いつか、風化してしまうのかな?ずっとこの切なくて悲しい思いを心に残していたいです。

写真・文 鈴木さや香

 

 

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